人間の命の価値は平等か?―命の選択に医師はどう向き合うべきか?

”医師の誓い”で宣言されている命の無差別・平等性

「人間の命の価値は平等である」とはよく言われます。実際、世界医師会が採決した“医師の誓い”の中でも「私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的志向、社会的地位あるいはその他どのような要因でも、そのようなことに対する配慮が介在することを容認しない。」(ジュネーブ宣言)と、患者を差別して扱うことを禁じています。

ただ、この命の「無差別性」ないし「平等性」は現実に可能なのでしょうか。確かに、人種や民族、性別などが理由で軽んじられてよい命はないでしょう。しかし、臨床の現場においては、何らかの方法で命を選択しなければならない状況に陥ることもあるのではないでしょうか?

こうした現実の場面を加味しないで「命の価値は平等だ」とただひたすら訴えることは、むしろ非常に危ういことで、また誠実でもないと私は考えます。一つ思考実験を例に考えてみましょう。

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全ては脳が決めているのか?―脳科学の進展が責任と自由意志の概念に与える影響

選択の自由と自己責任の原則が崩れる時―精神鑑定と責任能力

「自分のした行為は自分の自由意志によって決めたことであり、その責任は自分にある」というのは、社会が成り立つ上で、また人間が生きていく上で基本的な認識であるように思われます。選択の自由が保障されているからこそ、その選択の結果に対しても選んだ当人が責任を負う、それが社会の大原則です。その原則がなければ、社会は責任のなすりつけあいだらけになってしまうでしょう。

しかし、その責任の原則が崩れることがしばしば起こります。例えば、不法行為を行った人が精神疾患を抱えていた場合に、精神鑑定の結果責任能力がないと判断され、減刑もしくは無罪になることがあります。法に触れる行為を行なった精神障害のある人は、触法精神障害者と呼ばれ、判決後は医療観察法により指定医療機関へ送られますが、重い刑罰を科せられることはありません(ちなみに2016年1月1日現在、全国で指定医療機関は31病院、808床あります※厚生労働省HP参照)。

このように精神鑑定の結果として責任能力がないと判断された場合、「責任は当人にはない」ということが公的に認められたということになります(正確には責任を「問えない」ということかもしれませんが、被害者からすれば、「問えない」も「ない」も同じことでしょう)。

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人間の「品種改良」は許されるか?遺伝子技術によるエンハンスメントの問題点

人間の根源的な欲求は「全知全能」?

突然ですが、もしも一つだけ願い事がかなうとしたら、何と答えるでしょうか?私はかつてそう聞かれた際に「全知全能」と答えたことがあります。

「何でも叶えることができるようになる願い事なんて反則じゃないか」という反応が返ってきそうですが、実際にどんな願いでも一つだけ叶えることができるとして、「全知全能も答えてよい」としたら、誰もが同じように答えるのではないでしょうか?

たとえ私利私欲がなく、その一生を他の人々のために費やしたいという使命感に燃えているような人でもそうでしょう。なぜなら、全ての人を救うことのできる力が手に入れられるとしたら、どんな善人でもそれを望むだろうからです。

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