人間の命の価値は平等か?―命の選択に医師はどう向き合うべきか?

”医師の誓い”で宣言されている命の無差別・平等性

「人間の命の価値は平等である」とはよく言われます。実際、世界医師会が採決した“医師の誓い”の中でも「私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的志向、社会的地位あるいはその他どのような要因でも、そのようなことに対する配慮が介在することを容認しない。」(ジュネーブ宣言)と、患者を差別して扱うことを禁じています。

ただ、この命の「無差別性」ないし「平等性」は現実に可能なのでしょうか。確かに、人種や民族、性別などが理由で軽んじられてよい命はないでしょう。しかし、臨床の現場においては、何らかの方法で命を選択しなければならない状況に陥ることもあるのではないでしょうか?

こうした現実の場面を加味しないで「命の価値は平等だ」とただひたすら訴えることは、むしろ非常に危ういことで、また誠実でもないと私は考えます。一つ思考実験を例に考えてみましょう。

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茶道における幸福論とは?―【読書録】『日本人の心、伝えます』千玄室

「幸福とは何か?」この問いを考えていくには、一つの視点だけでは足りないと思われます。そのため本稿では読書録という形式で、茶道の視点から見た幸福論について考えていきます。読書録としての性格のため、本論から脱線するなど、やや考察としてまとまりに欠けているところもございますが、ご容赦いただけますと幸いです。

今回挙げさせていただいた『日本人の心、伝えます』(幻冬舎)は、茶道裏千家15代家元の千玄室氏による日本文化論です。論というよりは、90年以上の生涯に渡って茶道を通じて世界と向き合ってきた千玄室氏による、一種の説話集というべきかもしれません。平易な文章で随所に茶道のエッセンスが紹介されており、茶道を知らない人にも読みやすい本と思います。

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医師は「確率」とどう向き合うべきか?―医療における「確率」の功罪

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医療の現場において、「確率」の概念は広く浸透しています。薬や治療法の比較検討においても、患者さんへの説明でも、「確率」は頻繁に用いられます。もし、医療において「確率」というものがなくなったとしたら、EBM(根拠に基づいた医療)やインフォームドコンセントの実践は不可能になるでしょう。

しかし、その何気なく使っている「確率」とは何でしょうか?

サイコロを振って3が出る確率は1/6、つまり6回に1回ですが、実際に「サイコロを6回振った場合に3が1回出る」のかというと、そうとも限りません(実際にそうなる確率は2/5です)。「ずっと繰り返せば6回に1回になる」と言うことは可能ですが、その意味するところは何でしょうか?

こうしてみると「確率」について私たちは、よく理解しないで使ってしまっているのかもしれません。そこで、以下に確率についての考察を加えた上で、「医師が本来どのように確率という道具と向き合うべきか」について考えていきたいと思います。

 

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医師を取り巻く環境とは?―医師が選んだ「今年の漢字一字」の4年推移

医師が選ぶ「医学界・医師界における今年の漢字一文字」について

医師のコミュニティサイト「メドピア」が2012年から毎年実施している医師へのアンケートの中に、医師が選ぶ「医学界・医師界における今年の漢字一文字」というものがあります。各年の年末に行なわれ、毎年2,000~3,000人の医師が回答し、医師・医学界の一年を振り返るものとして発表されます。

今回は、医師が選ぶ「今年の漢字一字」の2012年から2015年の推移をもとに、一年の短期的な世相というよりも、根深く長期に渡って医師を取り巻き続けている環境を明らかにしたいと思います。

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「幸福」についてよくある2つの思い込みとは?

幸福とは何か?

「人生の目的は幸福になることだ」と古代ギリシアの哲学者アリストテレスは言いました。しかし、幸福になるためにはどうすれば良いのか、そもそも幸福とは何であるのか、という問題は、アリストテレスの生きた時代から何千年も経った今でも、未だに決着がついていません。

幸福とは何か?この問いは、まさに「医師の幸福を考える」本サイトの主題でもあるので、これから何度も提起していきたいと考えています。今回は、考えるための地ならしとして、幸福に関してよくある2つの思い込みを紹介させていただきます。

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全ては脳が決めているのか?―脳科学の進展が責任と自由意志の概念に与える影響

選択の自由と自己責任の原則が崩れる時―精神鑑定と責任能力

「自分のした行為は自分の自由意志によって決めたことであり、その責任は自分にある」というのは、社会が成り立つ上で、また人間が生きていく上で基本的な認識であるように思われます。選択の自由が保障されているからこそ、その選択の結果に対しても選んだ当人が責任を負う、それが社会の大原則です。その原則がなければ、社会は責任のなすりつけあいだらけになってしまうでしょう。

しかし、その責任の原則が崩れることがしばしば起こります。例えば、不法行為を行った人が精神疾患を抱えていた場合に、精神鑑定の結果責任能力がないと判断され、減刑もしくは無罪になることがあります。法に触れる行為を行なった精神障害のある人は、触法精神障害者と呼ばれ、判決後は医療観察法により指定医療機関へ送られますが、重い刑罰を科せられることはありません(ちなみに2016年1月1日現在、全国で指定医療機関は31病院、808床あります※厚生労働省HP参照)。

このように精神鑑定の結果として責任能力がないと判断された場合、「責任は当人にはない」ということが公的に認められたということになります(正確には責任を「問えない」ということかもしれませんが、被害者からすれば、「問えない」も「ない」も同じことでしょう)。

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人間の「品種改良」は許されるか?遺伝子技術によるエンハンスメントの問題点

人間の根源的な欲求は「全知全能」?

突然ですが、もしも一つだけ願い事がかなうとしたら、何と答えるでしょうか?私はかつてそう聞かれた際に「全知全能」と答えたことがあります。

「何でも叶えることができるようになる願い事なんて反則じゃないか」という反応が返ってきそうですが、実際にどんな願いでも一つだけ叶えることができるとして、「全知全能も答えてよい」としたら、誰もが同じように答えるのではないでしょうか?

たとえ私利私欲がなく、その一生を他の人々のために費やしたいという使命感に燃えているような人でもそうでしょう。なぜなら、全ての人を救うことのできる力が手に入れられるとしたら、どんな善人でもそれを望むだろうからです。

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人工知能(AI)は医師の仕事をなしえるか?人工知能の発展と医師の役割

人工知能は人間の頭脳を超えた?―AIが囲碁のプロ棋士に勝った日

近年、人工知能の発展が目覚ましい進化を遂げています。人工知能(AI)とは、人工的にコンピュータ上などで作り上げられた、人間同様、あるいは人間以上の知能のことを指します。2015年に日産が自動運転車の発売を発表し、Googleが自社開発の人工知能をオープンソース化(誰でも自由に使えるように)したことで特に注目を集めました。

更に最近(2016年1月28日)では、数年前まではあと100年は人間が勝つと言われていた囲碁において、プロ棋士が初めて人工知能に負けたことが話題を集めています。将棋では2013年に初めて人工知能がプロ棋士に勝ち、チェスでは既に1997年に世界トッププロに人工知能が勝っていただけに、人間の最後の砦と考えられていた囲碁でこれだけ早く人工知能が人間に勝つというのは、予想外だったといえましょう。

将棋や囲碁のプロ棋士にとってみれば、自分が生涯かけて積み上げてきたものに対して、人工知能がそれをあっという間に凌ぐようになってしまうのは、不本意であるとともに、「自分がやってきたことは何だったのか」とでも言いたくなるような無常さを感じてしまうのではないのでしょうか。

実際、プロ棋士の仕事は、ファンの人々に素晴らしい棋譜(指し手の記録)を残すことだと考えている人も多いと思います。そのプロ棋士よりも、AIの方が素晴らしい将棋や囲碁を指すのだとしたら、プロ棋士は今後何を仕事としていけばよいのか、その存在価値を問われることになります。

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